ハイパーシコシコ自分語りうどん部

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『PSYCHO-PASS サイコパス』1期を観たんだけどさ

 

しんどいわあ。。。

 

しんどかった。です。正直。

味方のピンチにヒーロー参上!みたいな"お約束"と呼ばれるような展開といった展開は殆どなく、登場するキャラクター達は死ぬべくところで死に、生くべきところで生かされた。その度に僕の心はグズグズにされ、ただひたすらに「マジかよ…」と呟くだけの"虚"になっていたことだ。作品としてはその「グズグズ感」に感情を支配されてる感覚がたまんないんだけど、そうぽんぽん愛すべきキャラクター達が死んでなんというかこう…あるじゃないですか。ねえ虚淵さん。いや好きだけど。好きなんですけどもね。

 

シビュラシステムによって統括された西暦2112年の日本は"完全"なる「平和」と「秩序」を謳っていた。人間の心理状態や性格傾向を数値化し、理想的な人生を送るための指標とする。中でも犯罪に関する行為は「犯罪係数」として数値化され、例え犯罪を犯していなくても「潜在犯」として裁かれてしまう。本作はそのような管理社会の中で「世界」を脅かす存在である槙島聖護が仕掛ける数々の"犯罪"と、公安1課の活動と葛藤を描いたものであった。

 

そもそも"正義"ってなんだろう。

これが私が真っ先に感じた正直な感想である。

職業や恋人、ひいては人生全てがシステムによって決められた世界には「自らの意思」というものは介在してはいなかった。槙島を追ううちにドミネーターの引き金を引く理由も意味も見失いかけていた狡噛慎也も、犯罪係数の上昇を防ぐ為に、捜査での身の振り方を常に意識していた宜野座伸元もそうだ。

それ故に、そこに現れた常守朱槙島聖護の存在は大きかった。常守は"システムの在り方"について確固たる意志を持っていたし、槙島は善悪の境界について問を投げかけていたからだ。「世界」ではなく、"僕"という一個人にも疑問を投げかけてくれる。そんなキャラクターが僕は好きだ。

 

法が人を守るのではなく、人が法を守るのです。

- 常守朱  #22 「完璧な世界」より

そもそも君たちは、一体何を基準に善と悪を選り分けているんだろう。

- 槙島聖護  #11 聖者の晩餐

 

この世界のシステムは歪んでいると思う。時代背景やら世界の状況やらが描かれてないからよく分からんけども、自らが身を置く「現実」と比較したときに実感する。「(ああ、こんな世界じゃなくてよかったなあ)」と。合理性を追求するばかりで、あまりにも「個」が無さすぎる。「心」が無さすぎる。そしてこの作品のキャラクター達はそんな「現実」を普通だと思って生活している。それがあまりにもしんどい。

もしかしたらこの作品は「個」を尊重せず、右倣えの精神を教え込む現代の日本を風刺したものかもしれない。

 

あと、「生」と「死」という倫理の果てで正義を説いてくるのが余りにも残酷すぎた。よく「人が人を裁くのではない。法が人を裁くのだ。」なんて言われたりするけど、この世界でも最終的な手を下すのは「人」だった。あ、この場合「法が人を裁く」よりかは「システムが人を裁く」と称した方が適切であるか。

ともかく、そんな人間の残酷さや尊さを描いた#11がとても衝撃的だった。観終わった後「マジかよ…」としか言えなくなっていたもん。だって槙島の言い分がめちゃめちゃ分かる。歪んでるのは僕ではなく世界。何が善で何が悪かだなんて誰にも分からない。結局は自らの正義に従うしかない。その通りなんだ。でも槙島、人は殺しちゃダメだ。

 

今ここで諦めても、いずれ俺は槙島聖護を取り逃がした自分自身を許せなくなる。

そんなのはまっぴらだ。

- 狡噛慎也  #18『水に書いた約束』

お前が許せないのは悪か?それとも槙島自身か?と問うた征陸智己の質問に対する狡噛の回答である。カッケェ。OPで常に自分自身と闘っている狡噛が本当に殺したいと思っているのは、そういう自分のことなのかもしれない。

 

 

そんなこんなで、3日くらいで一気にPSYCHO-PASS サイコパス を観た結果、"正義在り方"について疑問を持った僕はニーチェの『善悪の彼岸』を読み始めた。全然分からん。

だが何か1文くらいは糧になると信じて読みきってみたいと思う。

 

 

2019.07.15

ぶれぶれのジョニー

(((((( c(・ω・()・ω・)っ)))))