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『呪術廻戦』がハチャメチャに面白いから勝手に紹介する

 

少年漫画の主人公とは『大きな夢を掲げ、大義を持ち、仲間と共に夢へ向かって突き進んでゆく存在』であると思っている。

自分だけの信念を持ち、強敵を前に立ち回るその姿は、幼い頃に憧れたヒーローそのままに。物語が進むにつれ「いやいや、現実ではこんなうまくはいかんだろ」という冷めた自分を横目に、何かを成そうとする主人公に期待してしまう。傾倒してしまう。

憧れてしまう。

「自分はこうはなれない」という根底を覆してくれそうな予感に胸が躍り、勇気を貰う。

 

【呪術廻戦(じゅじゅつかいせん)】

芥見下々先生による日本のマンガ。

『週間少年ジャンプ(集英社)』、2018年14号より本誌連載中。

2020年2月16日現在の発行巻数は9巻。

 -Wikiより一部抜粋

 

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呪術廻戦 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

呪術廻戦 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

 

”生き様”とは何だろう?

主人公の虎杖悠二(いたどりゆうじ)は、上述する”理想の主人公像”ではない。

常に滾るような野心を燃やしているわけでもなければ、自らの夢を語るわけでもない。ひょんなことから”呪いの王”を体内に取り入れてしまい、成り行きで”呪術高専”にやって来ただけの青年だった。

 そんな彼に学長の夜蛾正道(やがまさみち)は尋ねる。「呪術を学び、その先に何を求める?」と。

散々痛めつけられた上での悠二の回答は「自分が死ぬときのことはわからんけど、生き様で後悔はしたくない」というものだった。

海賊王になるわけでもない。ましてや火影になるわけでもない。それでも、まだ何も成していない彼の言葉には、妙な説得力があった。

 

  

自分なりの生き様をもつ”仲間”

一方で、そんな彼の周りにいる同級生は自分なりの”信念”を掲げて生きているように見えた。

例えば伏黒恵(ふしぐろめぐみ)。彼が悠二の魂を乗っ取った”両面宿儺(りょうめんすくな)”と対峙したとき、悠二を取り戻すために「俺はヒーローじゃない」「呪術師なんだ」という言葉を吐いた。

呪術とは「少しでも多くの善人が、平等を享受するための”報い”のひとつ」でしかない。そのため救える善人の数は限られ、また救いたいという想いですら呪術師の裁量に委ねられる。つまり、その中で発した伏黒の台詞は呪術の”報い”に反した、なんとも”わがまま”なものでしかなかった。

しかしそれは「不平等な現実のみが、平等に与えられている」という前提を元に、呪術師の”業”を背負いながら掲げた、伏黒の信念に他ならない。

 

もう一人の同級生、釘崎野薔薇(くぎさきのばら)。彼女は超がつくほどのド田舎出身で、田舎が嫌で東京に住みたかったからという理由だけで呪術師の道を選んだ少女だ。

だが呪術師は常に死と隣りあわせの職業であるため、悠二は「そんな理由で命懸けれんの?」という疑問を抱く。しかし彼女はこれを「懸けられるわ」「私が私である為だもの」と一蹴する。

つまり彼女にとって「生きるか死ぬか」は問題ではなく「どう生きるか」「どう生きたいか」が重要なのである。

 

悠二の「生死観」を比較材料に、野薔薇の「生死観」にフォーカスを当てることで、そこから彼女の持つ強くしなやかな人間性と豊かな経験を映し出す。なんとも魅力的なキャラクターの描き方なのだろう。

 

私はこの2人のキャラクターに、主人公よりも主人公らしい"信念"を感じた。

 

 

気づきを与えるセリフ

私は読み手に「気づきを与えてくれる」作品が好きだ。

例えば先ほどの「私が私である為だもの」という釘崎のセリフに続いて、「まぁ、理由が重けりゃ偉いってわけでもねーか」と悠二が言葉を続ける。一見何の変哲もない相槌のようにも見えるが、ちゃっかり"悠二の人間性"を表現していて興味深い。「現実世界で当たり前のように思われていること」を織り込み、読者にハッと気づきを促す表現が、この漫画では幾度となくある。

 

一方で第9話のように「不平等な現実のみが、平等に与えられている」「因果応報は全自動ではない」「悪人は法の下で裁かれる」など「(おおよそ少年漫画で扱うようなテーマなのかそれ?)」と感じるほどの熟慮を要するものも存在する。

これらはすべて『非現実的な物語の中に引きずり込まれるような快感を覚える』『存在しないキャラクターに、まるで命が灯ったかのようなリアリティを覚える』という「私の好きな作品」の物差しにピタリと当てはまるのだ。

『まるで”借り物”のようにキャラクターに言わせているだけ』ということではなく、緻密なストーリーと巧みな構成の中で発せられているからこそ生きる。言葉の引力でグイっと心を引き寄せられ、言葉に含まれた”信念”に心をガッと掴まれる。そんな感覚を覚える。

 

わざとらしくもなく、かと言って丁寧でもない。話の中にサラリと筆者の主張を織り込むのが上手な作品であると感じる。

 

 

まとめ

私がこの漫画を読んで真っ先に感じた想いは「生き様ってなんだろう」というものだった。

おそらく、筆者の描きたい”理想像”は「読者と共に探してゆくもの」だと思うし、現にそのような主人公の描かれ方がされている(と思っている)。"憧れ型"主人公ではなく、"共感型"主人公の魅力はそこにある。

悠二が呪術師としてこれからどのように成長してゆくのか。生と死に向き合った先で、どんな人生を送るのか。そんな彼と共に、今後も作品の魅力を探ってゆきたい。

 

以上が、私が『呪術廻戦』をハチャメチャに面白いと感じた理由である。もっと沢山魅力はあるのだが、ここでは『呪術廻戦』という作品の魅力のひとつは"キャラクター"と"その心情を反映したセリフ"であることを述べておきたい。

 

 

 

 

 

 

ちなみに私は本誌でチラ読みした後、下記のブログを拝見しこの作品に手を出したのだが、3巻まで読んだら止まらなくなった。

www.jigowatt121.com

 

『呪術廻戦』がなぜ面白いのか?その輪郭が掴めると思います。是非に。

 

 

発行巻数が10~20巻くらいの漫画って、集めやすくていいよね。

アニメ、楽しみだなぁ。

 

 

 

ぶれぶれのジョニー

(((((( c(・ω・()・ω・)っ)))))

2020.02.16