ハイパーシコシコ自分語りうどん部

†お会計時に渡されるクーポン券は食器返却のときそのまま捨てがち†

10と5と、それから。

 

 

いろいろ変わってゆきます。

 

 

落ち着きのなかった少年は、毎日黙々と作業を続けます。

 

苦くて飲めなかったコーヒーは、今では欠かせないものになりました。

 

弱さの証明だと感じていた想いは、瞳から溢れることを躊躇いません。

 

言葉を交わした100もの友人は、今や片手で数えるほどしか連絡を取り合っていません。

 

いろいろ変わってゆきます。

 

 

10年も経てば、いろいろ変わってゆきます。

 

 

 

変わりゆくものを認識することはできません。今この瞬間もゆるりと死に向かっているなど、誰が想像するでしょう。振り返って気づくものばかりです。「変わったものがある」と。

 

だからこそ認識するのかもしれません。変わらないものもある、と。

変わらずにいたいと思えるものがあると。

 

 

私にとって、”変化”は”恐怖”です。

目に見えない変化は、ゆるやかに私の呼吸を浅くします。視界を狭めます。

でもそれは、変化に適応するために自らが選んだ”意思”だと気づきます。

早くなるスピードに置いて行かれまいと、食らいついた”意思”であると気づきます。

”意思”を与えてくれた存在があると”気づき”ます。

 

 

すると、”変化”は”恐怖”の対象から除外されます。

除外まではいかずとも、そのハードルを少しは下げてくれます。

そのハードルを越えた先の景色を、ちょっとだけ見せてくれます。

そんな瞬間が、私にもありました。

 

 

あなたにも、ありますか。

 

 

 

 

 

変わらないものも、あります。

 

あの日の熱も、あの瞬間の喜びも、涙も。

たとえ今の関係が変わったとしても。

たとえ忘れてしまったとしても。

あの瞬間が残っていると。

そう信じたい願いがあると。

 

変わりゆく景色の中で、その想いだけは変わらず、持ち続けていたいものです。

 

 

愛すべき青春の10歳の誕生日に、心から祝福を。

 

変わりゆく意思をくれた5歳の誕生日に、たくさんの花を。

 

 

 

おめでとうございます。

 

 

 

2020.06.30

ぶれぶれのジョニー

(((((( c(・ω・()・ω・)っ)))))