ハイパーシコシコ自分語りうどん部

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ハイキュー‼︎ 感想

 

『繋げ』

 

横断幕に綴られた、たった2文字の言葉。この言葉に込められた想いが、ただボールを繋ぐだけのものではないと知ったのは、つい最近のことです。

 

黒尾鉄朗

音駒のキャプテンを務めていた黒尾サンは、日本バレーボール協会の一員として働いていましたね。彼をその世界へと導いたのは、かつての師であった猫又監督の一言。"できるヨロコビ"を次世代へ"繋ぐ"べく奮闘するのは、次世代を担う若者です。

 

昼神幸郎。

かつて星海光来と共に烏野高校を苦しめた彼は獣医学部に進学していましたね。バレーボール競技を通して「ミスっても死なない」ことを知れた彼だからこそ「ミスったら死ぬかも知れない」世界に身を投じることができたのかもしれません。

 

北信介

稲荷崎高校の主将は、第一次生産者として汗を流していましたね。金色の海で満ち足りた表情を受かべる彼の姿が、とても印象的です。誰かの結果を支える職業を選んだあたりが、とても彼らしいなと思いました。

 

 

最終章では、バレーを続けている人の方が圧倒的に少なかったですね。

ほとんどのキャラクターがバレー以外の人生を選び、そこで「バレー選手」以外の「なにもの」かに成ることを選択していました。会社員として働きながら趣味程度にプレーする者もいれば、せっかく全国大会の決勝まで進んだのに、それ以外の職業に就いている者もいます。才能と情熱は比例しないと言ってしまえばそれまでですが、結局のところ、一つのことを突き詰められるのも”才能”のひとつなのかもしれません。

 

タダ・ノブカツくん的に言えば「バレーでメシを食える」人以外は”敗者”でした。

才能がないのにバレーを続けている者≒”敗者”で、”敗者”になるのにバレーを続けることは無意味だと、そう考えていたはずです。

それでも彼は、バレーを続けていた。

それどころか、division2リーグの選手として、社会人と両立を図りながらでもバレーを続けようとしていました。たったそれだけの事実が、彼の変化をどれほど雄弁に物語っていることでしょう。考えるには容易いはずです。

 

「わざわざ敗者になるのに、なぜ必死に努力をする必要があるのか」というリアルな葛藤は、「何かを頑張る者」にとって、きっとどこかでぶつかる壁です。

 

 それでも本作では、伏線と呼ぶにはあまりにも無粋な人々の成長を描くことで、その考えを否定してみせました。

 

日の光を浴びた月は挑戦することを辞められなくなり、ただのエースは”特別”を”普通”のものにしました。自分の力の所以を知った若さは他人への感謝を覚え、”仲間”という存在に確執を持っていた王様は、過去と向き合い未来を語るまでに至りました。

 

バレーを続けている者も、そうでない者も。守護神のヒーローにも。村人Bにも。小さな巨人にも。きっとこれから続いてゆく人生も、バレーを頑張ってきたから頑張れることがあるのだと。全国にごまんといる「タダ・ノブカツ君」が、近い将来「俺たちもバレー、やってたんだぜ」って胸を張れるように。

 

全ての瞬間がバレーボールであるように

何かを頑張りを続けていた時間の全ても人生だから。

 

ハイキュー‼︎、という作品が、これでもかというくらい丁寧に、真摯に、"バレーが繋いだ先の人生"を描いてくれたから。

 

”頑張っていた時間は無駄なんかじゃない”と、改めて思うことができたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

連載当初高校生だった私も、8年半の月日が流れ、社会人になりました。

続けていた部活はバレーではありませんでしたが、作中の彼らと同じように、一つの部活動に明け暮れ、特に目を引く結果を残せずに引退した”敗者”です。

 

 

 

そんな私でも、今ならこう思えるのです。

あのとき”繋ぎ”たかったものは、「意思」なのかな?

「考え方」なのかな?

それとも「経験」なのかな?

 

 

これから自分は「なにもの」になれるのだろう?

 

 

 

 

私も、これから挑戦者になれるのかな、と。

 

 

 

 

 

 

 

2020.07.20

ぶれぶれのジョニー

(((((( c(・ω・()・ω・)っ)))))