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【葬送のフリーレンより】晴る/ヨルシカを読む

 

そんなこと考えてないだろと自覚しながらの歌詞読み。徒然なるままに、妄想。

 

 

春 ≒(大切な)貴方と過ごした時間

晴る≒笑顔、あたたかな思い出

 

 

1番

貴方は風のように

目を閉じては夕暮れ

何を思っているんだろうか

風 ≒過ぎ去りし存在、時間の概念

夕暮れ≒さみしさの象徴、郷愁

貴方を見つめる私の描写。掴みどころのない貴方の横顔にどこか切なさと郷愁(居場所)を思い出す。

「全く、人間の考えていることはわからない。」

 

目蓋を開いていた

貴方の目はビイドロ

少しだけ晴るの匂いがした

ビイドロ≒本心を見透かす瞳

晴る≒笑顔、あたたかな思い出

目蓋を開いていた≒共に過ごした時間を想起する描写。

「ヒンメルの瞳はなんでも見透かしてしまう。時には私ですら気づかぬ本心でさえも。」

 

晴れに晴れ、花よ咲け

咲いて晴るのせい

降りやめば雨でさえ

貴方を飾る晴る

哀しみさえも洗い流してしまうほどの晴る≒あたたかな思い出。

「晴るのせい」と表現するほどに"貴方"の存在は大きく、思わず心が動いてしまう。

雨≒哀しみをも凌駕するほどのあたたかな思い出がそこにあることを指す一節。

「ヒンメル、君は晴れ間の青空みたいなやつだね。」

 

胸を打つ音よ凪げ

僕ら晴る風

あの雲も越えてゆけ

遠くまだ遠くまで

胸を打つ音≒心音。まだ気づかぬフリーレンの心を表す。

僕ら晴る風≒通り過ぎたあと人々の顔面に笑顔が咲き誇るような、勇者ヒンメル一行を表す詩。

あの雲も越えてゆけ≒心を覆う雲(もや)を払わんとする隠喩。まだ見えぬフリーレンの本心を貫かんとするヒンメルの願い、またパーティを組んでどこまでも行きたいと願うフリーレンの本心が表された一節。

「なんだろう、この胸の高鳴りは」

 

2番

貴方は晴れ模様に

目を閉じては青色

何が悲しいのだろうか

貴方は晴れ模様に≒笑顔の様相に

目を閉じては青色≒青空のような清々しさを含んだ寝顔≒死化粧。もしくは目を閉じて浮かぶ彼は青空のような人間であることを指す。

何が悲しいのだろうか≒未だわからない心の内を表す。

「もっと、人間を知っておけばよかった」

 

目蓋を開いている

貴方の目にビイドロ

今少し雨の匂いがした

目蓋を開いている≒死化粧。

貴方の目にビイドロ≒心眼。共に過ごした時間が育んだ、彼と同じ視点。

雨の匂い≒哀しみ

「わかっていたはずなのに」

 

泣きに泣け、空よ泣け

泣いて雨のせい

降り頻る雨でさえ

雲の上では晴る

泣く≒泣く

空よ泣け≒心からの涙。感情の発露。

雲の上では晴る≒涙の先にある他の感情。

「なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう」

 

土を打つ音よ鳴れ

僕ら春荒れ

あの海も越えてゆく

遠くまだ遠くまで

土を打つ音≒雨音、つまり悲しみの音色。または春雷のような怒りの矛先の対象。

春荒れ≒大切な時間を奪われた哀しみ、苛立ち。

海も越えて≒つまり国や文化を跨ぐ行為、つまり旅立ち。

「私は人間を知ろうと思う」

 

Cメロ

通り雨 草を靡かせ

羊雲 あれも春のせい

風のよう 胸に春乗せ

晴るを待つ

通り雨≒涙を越えた先。時間の経過。

あれも春のせい≒私を突き動かす春≒かけがえのない思い出。

胸に春乗せ≒かけがえのない思い出を乗せて。

晴るを待つ≒人間の持つ"晴る"を知る≒人間を知る≒自分自身を知る行為

 

ラスサビ

晴れに晴れ、空よ裂け

裂いて春のせい

降り止めば雨でさえ

貴方を飾る晴る

空よ裂け≒「花よ咲け」とは異なる能動的に本心を穿つ行為。

裂いて春のせい≒人間を知りたい欲が止まらない。全部あの時間のせい

貴方を飾る晴る≒自らの感情が彩る晴る≒哀しみさえも思い出に変えた彼と同じ気持ち≒喜び

 

胸を打つ音奏で

僕ら春風

音に聞く晴るの風

さぁこの歌よ凪げ!

胸を打つ音奏で≒「胸を打つ音よ凪げ」の対比。心のままに

僕ら春風≒「僕ら晴る風」の対比。大切な思い出を胸に進む者たち。

音に聞く晴るの風≒貴方の声

歌よ凪げ≒耳を澄ませて

 

晴れに晴れ、花よ咲け

咲いて春のせい

あの雲も越えてゆけ

遠くまだ遠くまで

「私は、人間を知るために旅をしているんだ」

 

 

あとがき

「晴る⇔春」の用法の違いを考えているうちに全ての詞を意訳をしてしまいました。「何言ってるかわからないけど分かる」という独特の感性でこの楽曲を聴いていましたが、葬送のフリーレンの物語になぞるととてもわかりやすかったです。要は…

 

勇者一行として冒険をするフリーレンの物語(1番)。

ヒンメルの死(別離)を目の当たりにし、感情を発露させるフリーレン(2番)

ヒンメルを失った哀しみから彼女は「人を知りたい」と思うようになり、旅に出る(Cメロ)。

旅先で描かれるフリーレンの心情。それはヒンメルと過ごした日々が育んだものであり、その"願い"を託された彼女は、彼の想いを胸に歩み続ける(ラスサビ・オチサビ)

 

ウワーーー!!!(驚嘆)

驚くほど端的かつ正確に、彼女の物語を丁寧になぞっているではありませんか!こじつけだと分かっていても解釈をやめられねぇ!

原風景を通して描かれるフリーレンの物語!

フリーレンを通して描かれるヒンメルの願い!

願いによって芽生えるフリーレンの心!

心によって生まれる物語!

なんて複雑にしてくれてんだ!!!全てが美しく繋がっていて、言葉の意味を汲むたびに"理解(わか)る"ことをやめられませんでした。

 

そして大切なのは、そこに「普遍的な物語」が含まれているということ。フリーレンのみならず「誰もがこの曲に共感することができる」ということを理解することです。風景描写や人以外に向けられた動詞(≒他動詞)が多いばっかりに隠れがちな楽曲の持つテーマを、正しく掬い上げる必要がある。私はフリーレンの物語を通して、この楽曲を下記のように解釈しました。

 

歩み続ける者達への祝福

 

要は応援歌なんじゃないかと。「あの雲を越えてゆけ」「遠くまだ遠くまで」という詩に全てが集約されているように、聴く人の物語を応援する"願い"が込められている。そこに至るまでの詩はもちろん聴者が各々に描く「物語(人生)」ですし、その物語にはもちろん"喜び"も"悲しみ"もある。それらをひっくるめて「春」だと称しているんですね。最高の春もクソみたいな春も全部「春」なんだと、「あの頃の経験があったから今も生き続けてるんだ」と胸を張れる。胸を張れと背中を押される、そういう曲なんじゃないでしょうか。晴れ(張れ)だけに。

 

閑話休題

 

というわけで葬送のフリーレンを通して晴る/ヨルシカの詞を読んでみました。

そもそもこの文章を書こうと思った経緯が、過去にヨルシカのコンポーザーであるn-bunaさんが「風を時間、花を命と見立てて、風によって舞う花びらに命の儚さを描いている(意訳)」みたいなことをラジオかなんかで言っていたのを思い出したからに他ならないのですが、「晴る」においても描かれる言葉のひとつひとつに"モチーフ"が設けられているのではないかと。そう思ったのが事の発端でした。確か春泥棒だったかな。

楽曲中では「咲く↔︎裂く」や「音よ止め↔︎音奏で」などのキモチイイライムの対比もありつつ、作中の”貴方”との時間を過ごした"私"の心境の変化まで描いていて見事でしたね。特にフリーレンの物語は「自分の心を見つける物語」だと思っているので、ヒンメルの願い(晴る)から生まれた春(大切な思い出)がフリーレンを突き動かしていると思うと堪りません。

 

というわけで晴る/ヨルシカを読んでみました。久々に歌詞読みしたけど楽しかったー!

実はフリーレンを読んだのが2年前、アニメも薄目でしかみてないのでちゃんと観ます。ごめんなさい許してください!ここの記事内容は全部妄想なので真に受けないでください!