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ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第4話 感想

 

 

"走る"という行為は、よく人生に例えられます。

 

それは、”走る”という行為そのものが【”生きる”という根源的なものを表しているから】に他ならないからですが、その一方で【”目的”を達成するための”手段”】として表されることもあるからです。

 

ひとりひとりの道のりは違っていて、スタート地点もゴール地点も違う。道中は上り坂下り坂、でもやっぱりおーさk…ばかりで苦しいことばかりかもしれませんが、途中棄権は許されない。つらくて歩いてしまうときもあるでしょう。しんどくて休んでしまうときもあるでしょう。

もしかしたら、走ること自体を辞めてしまいたい、と思うこともあるかもしれません。

 

そんなとき心の支えとなるものは『仲間と分かち合うこと』だったり『走るという行為そのものを楽しむ』ということだと思うのです。

 

  

 

 

グループで活動するということは、せつ菜の言うように「ひとつの色にまとまる」こと。

言い換えれば「足並みを揃える」ということでした。

 

ひとりひとりのペースがあるように、これまでの同好会ではその"足並み"がなかなか揃わなかった。

だからこそ、あえて"足並みを揃えない"という選択を視野に入れ始めたわけですが、その選択が正しいものか、同好会のメンバーは不安で仕方ありません。

 

一方、新たに虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会"輪”に加わった宮下愛ちゃんは、そんな”足並みを揃えること”を得意としていました。

 

彼女が各部の”助っ人”として活躍していたのは、”自分の能力を活かしたいからでも””何かに勝ちたいからでも”ありません。

同じ経験をすることで、そんな「喜びや楽しさを分かち合いたい!」という想いからくるものです。

 

自分の目線ではなく、まずは相手の目線で。

自分のペースではなく、相手のペースに合わせて。

 

「相手の楽しいは自分の楽しい」になりえるけれど、「自分の楽しいは相手の楽しい」になるかと言われたら、きっと彼女はNoと言うでしょう。

 

しかし、その他人本意と言ってもいいほどの優しさが、彼女を悩ませているような気がしてなりませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

だからこそ

 

 

 

 

 

愛さんが駆け出したことが嬉しかったのです。

 

彼女のことです。今までだったら、エマちゃんのペースに合わせて一緒に走っていたことでしょう。

 

しかし彼女は『誰かの笑顔があって、自分の笑顔があると思っていた』ことが『自分が誰かを笑顔にすることができる』という可能性に気づいた。

 

周りの楽しいも、自分の楽しいも。

 

自分の心が納得する方に、

自分のペースで走ること自体が、彼女が望む"楽しい"につながると気づいた。

 

そんな、自分本位な願いに変わったことが、とても愛おしかったりするんです。

 

 

 

心のままに、自分だけのパフォーマンスをした彼女。

 

そんなステージを見た"虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会"のみんなは、どう思ったでしょう?

 

 

少なくとも私は、未知なるミチですら"楽しい"に変えてしまった彼女を見て「確たる”イシ”で進む”ミチ”が、楽しい”ヒビ”になりそう」な予感がして、嬉しくなってしまったのです。

 

 

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2020.10.25

ぶれぶれのジョニー

(((((( c(・ω・()・ω・)っ)))))