自分はAqoursの何が好きなんだろう?
公演前も公演中も、そんなことばかりずっと考えていました。
キャラの熱意に胸をうち、物語に心を動かされ、キャストの愛に心を動かされてここにいます。
でも、物語が幕を閉じ、キャラとの関わりがなくなった今、自分は純粋にAqoursだけを観に来ることができるのだろうか?
そう考えたとき、素直にうんとは言えなかったような気がします。
前はライブグッズを身に纏っていたのに。
前はライブで歓声を送れていたのに。
前はライブ後に仲間と朝まで語り合えていたのに。
前は、前は、と、昔のことばかりを考えて、自分は"今"のAqoursをちゃんとみれているんだろうか?
自分はAqoursとの思い出に縋っているだけなのか?
と、独りよがりな葛藤ばかりを繰り返しては自己嫌悪に陥って目を背ける、そんな日々を送っていました。
でも、違ったんです。
Aqoursはそんなもんじゃなかった。
悩みも葛藤も、私の抱えるもやもやの心を全て吹き飛ばしてくれたんです。
コットンキャンディえいえいおー!が…
【YouTube限定公開】コットンキャンディえいえいおー! Special MV - YouTube
場を盛り上げる小道具の数々。友情(愛情)出演の姉。そして場を盛り上げるキャッチーでコミカルなダンス…
身体の隅々から笑いが噴き出し、それを声にするまいと踏ん張ったところ2重にしたマスクの下から汁という汁が漏れました。涙でマスクを濡らすことは想定してたけどヨダレ×(じゃない)。
その後もちょいちょい出てくるコッキャン(コットンキャンディえいえいおー!の略)ダンスが脳みそを支配し、他のパフォーマンスがよっしゃよっしゃに塗り替えられる始末。
他のキャストのみんなもちょいちょい踊るもんだから忘れさせてくれません。お願いだからよっしゃよっしゃのセーブポイントを作らないでほしい。記憶のStep Zero to Oneをさせてほしい(懇願)。くそっ…可哀想に❗️先生め……
1000日の間にAqoursに何があったか(?)わかりません。Aqoursは変わってしまったのでしょうか?
ノンノン。ずっと発信し続けていたAqoursのメッセージを、自分が受け取っていなかっただけ。Aqoursはずっと希望を歌い、前だけを見続けていたんだと、そのパフォーマンスから気付かされました。
コットンキャンディえいえいおー!についてもただコミカルな楽曲というだけではなく、ただ"輝き"を伝達するための"手段"だったということ。"輝き"を脳に直接脳にねじ込まれているだけなのですね。
世界がひっくり返ってしまった今、大切なものを失いすぎたし、大切なものが出来すぎました。その中で取捨選択をしなければならない場面ってのは必ず何処かでやってきて、悔しい思いをするかもしれません。それは自分だけでなく、みんなも、Aqoursも、等しく訪れるものなんだと思います。
でも、いちばん悔しいはずのAqoursが笑ってんのに、シケた面して日々を過ごしてちゃ笑われちゃうよなぁと、そう思えたことが嬉しくて、また自分も始めてみたくなったんです。
ダイスキだけの祭りを──。(澄み渡る青空)
(ご愛読ありがとうございました!Aqours次回ライブをお待ちください☆)
2022.03.07
ぶれぶれのジョニー
(((((( c(・ω・()・ω・)っ)))))