ハイパーシコシコ自分語りうどん部

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ことな

 

中学に入学したばかりの頃、学年集会で先生に「君たちはいま"ことな"です」と言われました。「ことな」とは「おとな」と「こども」を足し合わせた造語のこと。精神的に"子供"と"大人"の狭間にいる中学生に、自らの行動に自覚を持って欲しいという先生方の願いを込めた言葉です。

 

当時の僕はその言葉を額面通りに受け取りました。中学生は小学生とは違うんだ。身体も心も大きく成長しなければならないんだ、と考えた僕は「今の自分を変えなければならない」と思いました。

しかし、「ことな」という言葉を意識はしてみるものの、何が変わったかという実感もないままに時は過ぎてゆきます。中学、高校、大学を卒業し、ついに僕は社会人にまでなっていました。

 

最近、ようやくこの歳になって「ことな」という言葉の存在を強く実感します。

僕は今年で25歳。「精神年齢は実年齢から−10歳」とかよく聞きますが、今更になって「ことな」について思うことが増えました。

 

その理由のひとつが「環境の変化」。

今年から新社会人になった僕は、仕事をする中で「社会人としての立ち振舞い」と「自分らしさ」のバランスについてよく考えます。"子供っぽい"自分を律したいと考える「大人な自分」と、"常に自分らしくいたい"と願う「子供な自分」。相反する2人の自分は、まるで学年集会に出席したあの日の僕のように大人と子供の間で揺れています。

 

正直なところ「社会に身を置くことで自分らしさが損なわれてしまうのではないか」という恐怖が大きいです。

僕は声が大きいです。笑い声も大きいです。好きなことがあるとテンションが高くなり過ぎてハメを外します。ハメを外し過ぎてポカやケガをすることもしばしばあります。

でも、そんな自分は嫌いじゃないです。

笑うことが好きです。人のボケをツッコむことが好きです。人の笑顔を見ることが好きです。

 

社会の中に身を置いていると、自分らしくいることがとても難しいことだということを強く実感します。上司も先輩もみんながみんな静かに真面目に仕事をしている中で、自分だけヘラヘラ笑いながら仕事はできません。飲み会の挨拶を学生の頃のノリでするとスベります。口にして良いことと悪いことがあります。それで注意を受けることもあります。簡単にサボったり逃げたりすることも出来ません。自分は会社に利益をもたらす存在です。そんな「大人の自覚を持つこと」を受け入れながらも、どこかで拒んでいたい自分がいます。

どうやら僕は、まだまだ子供でいたいみたいです。

 

話は変わりますが、この夏に僕は同窓会的なものに参加しました。社会人としてバリバリ働く奴や、所帯を持っていろいろ大変そうな奴。いろんな奴がいましたが、やはり子供の頃を知っているぶん、皆が大人な存在に見えます。

 

ですが変わらず言えるのは「昔の友人も今の友人も大好きだ」ということ。あの頃の話をしてバカ笑いをします。会社の愚痴をしんみり聞きます。変わったことも変わらないことも理解して話に花を咲かせます。

すっかり大人っぽくなった彼らですが、僕は変わらずその友人たちが好きでした。好きだと言えました。

 

そして、ここから導き出せるヒントは「人は常に変わり続ける」ということ。

 

「自分らしさ」って、きっとひとつだけじゃなくて良いんだと思います。何個もあっていいんだと思います。友人とバカ騒ぎしている自分も、会社で周りに合わせている自分も、どちらも自分。

いろんな自分を作っていって、後々本物の「芯」を見つける人生でもいいんじゃないかなって、今は少しだけ思えます。

 

今は「大人な自分」でいなければならない時間が多いです。でも、休日くらいは「子供の自分」とキャッキャしながら遊び歩いてもいいんじゃないでしょうか。

 

そんな「ことな」の存在を感じた夏だったので、こんなひとりごとを漏らしてみました。

 

 

2019.09.01

ぶれぶれのジョニー

(((((( c(・ω・()・ω・)っ)))))