ハイパーシコシコ自分語りうどん部

†お会計時に渡されるクーポン券は食器返却のときそのまま捨てがち†

言葉

 

『雄弁は銀、沈黙は金』とはよく言ったもので、喋らない方が良いと思われる状況というものはいつ何時もやってくる。そうして喋りすぎた果てに後悔し、その度にこの言葉を胸に刻んで生きてきた。

 

今だってそうだ。綴らなくてもよい駄文を今から綴ろうとしている。蛇足だ。冗長だ。それでも書くことをやめられない。話すことをやめられない。もはや一種の懺悔のようなものにも思えてくる。それでも今の自分になにか残せるものがあるのなら、と思い、ここにこの感情を残す。

 

アニガサキの6話を観た。どこか得体のしれない感情が胸に渦巻き、ひたすらに胸が詰まった24分間。最後は笑顔で幕を閉じたはずなのに、その後も胸が苦しくてしょうがなかった。胸に何かがつかえて、取れなかった。

 

彼女の悩みに対して「わかる」とか「つらかったね」なんて同情の言葉をかけることは本当に失礼なことのように思える。悩んで悩んで悩み抜いた果てに、どうしようもなくなってしまった彼女の悩みを一言で片付けてしまうのは、彼女が今まで悩んできた『時間』の全てを否定してしまうように感じるからだ。都合の良い言葉を並べて、悩みに寄り添ったフリをして信頼を得ようとすることのどこに「優しさ」があるのだろう。悪意のない善意は、どれほどの人を傷つけてしまうのだろう。そんな「否定」と「破壊」を、自分は今までどれくらいしてきたのだろう。

6話を観て真っ先に辿り着いた感情が、それだった。

 

私は彼女のような悩みを感じたことがない。考えたこともない。自分の感情を表現することに抵抗もない。それ故、彼女のような立場の人に対して理解がない。私がクラスメイトの立場だったら、あの時なんと言っていただろう。どんな言葉をかけていただろう。想像するだけで吐き気がする。誹謗中傷はしなくとも、陰で「変わった子だね。」くらいは言っていたのだろうか。「何か言いたかったのかな?」だったのだろうか。

彼女が私に訴えていたのは、過去を省みるチャンスのように思えた。

 

過去にも、同じような感情に押しつぶされそうになったことがある。だからプラスの言葉を吐こうと決めた。雄弁は銀だが、銀なら銀でなによりも輝く銀にしてやろう。偽善も続けることで善にしてやろう。プラスのストロークはプラスのストロークを産む。言葉はキャッチボールだ。受け止める準備が出来ていなければ、それはコミュニケーションではない。想いを伝えるために言葉があり、感情を伝えるために表現がある。そんな金にもならない銀を続けた先に、何か自分だけの金が見つかるのではないかと。そう思って生きてきた。

 

だからこそ思えるのだ。「ありがとう」という言葉が、どれだけ彼女の心に寄り添ったものだったのだろうかと。心ではなく事実を認めることが、どれほどの優しさを孕んでいたのかと。

 

 

沈黙は金、雄弁は銀だ。

でもこれだけは言わせてほしい。

ありがとう、と、そう伝えたいのはこちらの方だということを。

 

 

 

2020.11.09

ぶれぶれのジョニー