ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝を観て思ったことです。
主人公のヴァイオレットは『愛してる』を知るために、これまでに沢山の手紙を書いてきました。親から子へ。子から親へ。妹から兄へ。愛しき恋人へ。
その全ては、少佐からもらった"愛してる"という感情を知るため。
"愛してる"という感情が、(ヴァイオレット的に言えば)どういった"状態"にあるかを知るためです。
私が好きなヴァイオレットの癖 (習慣?)のひとつに『"感情"を確かめる』という行為があります。
「大切なものがあるというのは、"嬉しい" 、ですね。」
ヴァイオレット・エヴァーガーデン / ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝 (2019) より
自分の心がどのような"状態"にあるかわからない彼女にとって、"言葉"で"感情"を知る、というのはとても大切な行為なのでしょう。はじめて少佐にブローチを貰ったときに知った「美しい」も、リオンと彗星を眺めている際に知った「寂しい」も、おまじないのように繰り返すことで、その言葉の持つ"意味"を、自分の感情に当てはめてきました。
幼い頃から武力で相手と向き合ってきた彼女には、手紙のように"言葉"で相手と向き合うのはとても新鮮なことなのだと思います。作中ではエイミーがテイラーに「美味しい?」と訊ねるシーンがありましたが、ヴァイオレットにはこれまでその感情を問いかけてくれる者はギルベルト少佐しかいませんでした。
自動手記人形となった今でこそ"感情"を教えてくれる存在"は沢山いますが、"愛してる"を教えてくれる存在は、きっと彼しかいないのでしょう。
そんな『誰かに教えてもらった言葉たち』が、彼女にとって大事な"感情"を形作っています。
さて「感情を言葉にしたい」というタイトルですが、これは私のちっぽけな"願望"のようなものを表しています。
私がブログを書く理由のひとつに、「自分の感情を知りたい」という気持ちがあります。自分「好き」や「嬉しい」という感情を細分化して「どうして好きなのか」「なぜ嬉しいのか」という理由を知ることで、これから自分が進むべき方角の検討をつける。ブログを書く中で習慣化した「自分の感情を知る手段のひとつ」です。
文字を書いていると、感情を言葉にすることの難しさを強く実感します。「嬉しい」とか「悲しい」という気持ちですら、その言葉という枠組みに囚われた感情のひとつでしかありません。沢山の織り混ざった感情をそぎ落としていって、ようやく言葉としてまとまったものが「嬉しい」「悲しい」と言った感情。私はその削ぎ落としをできる限り減らし、端的で薄まることない感情を表した言葉を紡ぎたいと思っています。
一方で、残念ながら感情を正確に表す言葉なんてないんだろうなとも感じています。だから感情を言葉にすることなんて本当の意味では無意味。ありのままに感じたことが全てで、言葉はその表現手段のひとつでしかありません。
ですが、言葉にすることが決して無意味であるとは思いません。言葉は想いを共有したり、情報を伝えることができる有効な"ツール"です。正しく使うことができれば、それは人と人の心を繋ぐ架け橋になるものであると信じています。想いのこもった言葉は、たとえ言葉数が多くなくても伝わるものです。
その"正しさ"という名の"心"を学ぶのがヴァイオレットであり、今を生きる僕たちなのではないでしょうか。
言葉で感情を教えてもらってきたのは、ヴァイオレットだけではありません。
私がこの作品を観て感じたのは、きっとそういうことなのだと思います。
だから僕は
2019.09.30
ぶれぶれのジョニー
(((((( c(・ω・()・ω・)っ)))))