12月3日は僕の誕生日でした。
僕は3日の夜中に『22歳の誕生日迎えたやで』みたいなことをツイッターランドにポストし、本音ではみんなに祝われたいと思われつつも「(さて、年齢詐称してるけどどんな反応が来るのかな…)」なんて糞畜生みたいな遊びをしていました。すみません。照れ隠しのためにしょーもない嘘をついてしまいましたが実は24歳です。すません。
そしたらあれよあれよと言う間にいろんな方からおめでとうメッセージが来てびっくりしました。
本当に嬉しかったです。
まずお礼を言わせてください。
お祝いしてくださってありがとうございました!
いいねのひとつでも『あ、コイツ誕生日なんやなんか一言伝えとくか』レベルでもマジで嬉しいんです。だってあなたのその大切な時間を僕にくれたから。1度や2度しか会ったことのない、ましてや僕に会ったことのない方もいることでしょうに。そんな会う会わないのことも考えず、"僕に時間を割いてくれた"という事実がすんげえ嬉しかったんです。
そんなあったけえ想いをくれるあなたは素敵なひと!!!
本当にありがとうございます。ひとりひとりの言葉をしっかりと噛み締めて受け取りました。
僕は高校生の頃からツイッターを利用していますが【お誕生日おめでとうTL】というものがどうしても苦手でした。高校の頃はリア垢として運用していましたが、もともと考え過ぎる性分であったために、すれ違えば挨拶をするくらいの関係の人におめでとうを言うとか言わないとかで悶々としていた経験があったからです。『(この人には"おめでとう"って言ったくせにあの人には言わないなんてどういうつもりなんだろう)』とか思われるのが嫌で、ツイッターというコミュニケーションツールを用いながらも閉鎖的になってしまった時期がありました。
考え過ぎですよね。貴様は究極の八方美人を極めて聖人にでもなりたいのか、と。今思えば起こってもない事象に心配をしすぎていました。
しかし今日1日「お誕生日」というある種の"きっかけ"を通して沢山の方々とのコミュニケーションを取れたことで、ようやくSNSの"真価"というものを見出せたような気がします。
全くの私事ですが、僕はこの10ヶ月間、"ブログ"というツールを用いて自分の想いを言葉にし続けてきました。不思議なことに自分が文章を書けば書くほど、人が発する言葉から、書いた文字から読み取れる"想いの量"というものが増えてきて「(この人は今嬉しいんやろな…)」とか「(この人は推しの尊さに無理みを感じ瀕死状態にあっても必死に生きようとしとるんやろな…)」といった感情が読み取れるようになってゆきました。感覚が鋭くなってきたのですね。
だからメッセージをくれた方からは並々ならぬ想いを感じました(勘違いかもしれんが)。僕も僕で、今の僕が持つ最大級の力を持って正直な想いを返しました。
この機会に伝えたい事を伝えときたかったんですね。
勢いで言っちゃったのもありますが、お酒をカチ込んだ勢いと"誕生日待遇"があれば怒られやしないよね。という気持ちで返信しました。失礼があったらすみませんって感じなんですけども。
昔の僕だと、こんなことするのを鼻で笑っていたと思います。
でもやっぱ今だから気づけました。こういう機会って想いを伝え合う為に必要なんだなあって。そんな想いを伝えるためにSNSってあんだなぁ。あってよかったなぁって思ったんです。
これはリアルでも同じことが言えます。
僕が好きな降幡さんも、ライブ終わりのMCでメンバーにありがとうって伝え始めてたし。4thライブも改めて大切な人へ"ありがとう"って伝える機会をくれた場所だったし。"想いを伝える機会"というものを虎視眈々と狙っていたのかもしれません。
話が逸れました。
とにかくおめでとうに対するありがとうを伝えたかったという話です。
ツイッターの140文字じゃ伝えられない想いがあったんです。足りない文字数の分だけ後悔を残したくなかったんです。
あ、なんかいい感じに歌の歌詞っぽくなった。メロディーつけたろ。
とにかく本当にいい1日になりました。
次は僕の番です。受け取った想いの分を、伝えたい人がいる限り、直球ど真ん中ストレート156km/hでブチ込んでやりたいと思います。みとけよ〜〜〜???
ツイッターランドのみなさんに出会えて23歳は本当に楽しかったです。まだまだ楽しいことしていきましょ。そんで24ちゃいもたくさん友達増やしていきまっせーーーーー!!!!!!いえーーーーーーーーー!!!!!!!!!
2018.12.04
ぶれぶれのジョニー
(((((( c(・ω・()・ω・)っ)))))