「普通」ってのは、言葉の定義そのものよりずっと複雑で、難しいものだと思います。
勉強が「普通」。
運動が「普通」。
「それとなくできる」というイメージを抱きがちな言葉ですが、「普通」という言葉の持つ「キャパシティー」は人それぞれ違いますよね。そのため勉強とか運動とか、沢山の物差しが立ち並ぶ世界で、自分が「普通」かどうかを測ることはなかなかに難しい。自分がどこにいるのか、把握することは簡単ではありません。
では、自分が「普通」かどうか測るにはどうすればよいのでしょう?
それは「他人と比較すること」です。
他人と比較することで、自分が"基準値"よりも上なのか下なのか、現在地点を把握することができます。
私ね、普通なの。
ある女の子は、自分のことを「普通」だと言っていました。
自分には特に何も無い。憧れの人たちには、手が届かない。でも、「普通」だけど、そんな自分を変えようと一歩を踏み出してみたい。彼女はそう語っていました。
「普通」な女の子は、「特別」になりたかったのでしょうか?
いいえ、違います。
彼女は「特別」になることを望んではいませんでした。このままじゃマズイ。『普通な存在だけど』なにかを変えたい。そう言っていたのです。
一方、隣でその話を聞いていたもうひとりの少女は、「普通」な女の子にとって特別な存在でした。憧れの街に住み、憧れの学校に通い、憧れの才能を持ち合わせている。「普通」な女の子は、さぞやその存在を「特別」な存在として見つめたことでしょう。
しかし、「特別」な少女にも悩みがありました。彼女は、好きなものを好きでいられなくなり、とても苦しんでいます。どうしたらいいかわからない。それでもこの闇から抜け出したい。自分のことを「特別」だなんて、思ってもみなかったと思います。
そんなとき目の前に現れたのが、自分のことを「普通」だと言う女の子。のちに少女を救った「普通」な女の子は、彼女にとっても「特別」な存在に映ったことでしょう。
自分にとっての「普通」は、誰かにとっての「特別」。
比べるものではないのです。
特別な存在を目の前にすると、自分の存在が霞んでしまうような感覚を覚えたことはありませんか?
あぁ、自分は「普通」なんだ。こんな人のようになりたいけど、それは無理なんだ。って。
すると、他の存在を羨んだり、妬んだり、時には憎んだり。
「特別」を切望してしまう人にとって、「普通」でいることって、なかなかに難しいことだと思うのです。
でも、そんな「普通」を受け入れることができたなら「普通」の中に眠る「特別」をちょっとだけ呼び起こして、自分だけが望む「特別」な姿に生まれ変われることができる。
そんな風に思わせてくれるのが、僕にとっての「普通」の女の子でした。
「普通」で、ちょっとだけ特別な女の子は、これからも「普通」でいて欲しいです。でも「特別」を探すこともやめて欲しくない。勝手な願いではあるんだけれども、そういう存在であって欲しいなって、僕は今でも、そう思います。
彼女は今日も、自分だけの「特別」を探して、みんなでワイワイ騒いでるんじゃないでしょうか。とうかこれからも、そのままの君で、そのままの存在に成って欲しいと思っています。
お誕生日、おめでとう。
2019.08.01
ぶれぶれのジョニー
(((((( c(・ω・()・ω・)っ)))))